【福島県会津若松市】旧滝沢本陣|白虎隊出陣の地に残る弾痕と刀傷を巡るガイド

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東北
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会津若松と聞いて「白虎隊」を思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。今回は、その白虎隊と深い関わりを持つ史跡「旧滝沢本陣」をご紹介します。

この記事を読めば、「旧滝沢本陣と白虎隊にはどんなつながりがあるのか」「そもそも旧滝沢本陣とは何なのか」といった疑問を解決できます。

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旧滝沢本陣とは

旧滝沢本陣は、若松城下から白河・江戸へと続く旧白河街道沿いにあり、参勤交代の際の滝沢峠越えに備えて設けられた休息所です。現存する建物は1678年(延宝6年)に建てられたもので、会津藩主が白河街道を通行する際の休憩所として使われていました。

参勤交代のほか、領内巡視や、藩祖・保科正之を祀る土津神社への参拝の際にも利用されていたと伝わっています。建物と敷地は国の史跡に、主屋・座敷は「旧滝沢本陣横山家住宅」として国の重要文化財に指定されており、東北地方の民家建築としては最古級とされています。

白虎隊出陣の地

幕末に入ると、旧滝沢本陣は会津藩の本営として使われるようになります。戊辰戦争の際、会津藩主・松平容保がここに陣を構え、白虎隊士中二番隊に対して戸ノ口原への出陣を命じたのが、まさにこの旧滝沢本陣です。

出陣した白虎隊士中二番隊は16〜17歳の少年たちで編成された部隊でした。戸ノ口原の戦いに敗れて退却する途中、飯盛山から見えた鶴ヶ城周辺の黒煙を城が落ちたものと誤認し、飯盛山で集団自刃するという悲劇的な最期を迎えています。旧滝沢本陣は、その出陣の号令が下された歴史的な現場として今も残されているのです。

今も残る弾痕や刀傷

旧滝沢本陣最大の見どころは、なんといっても当時の戦闘の跡がそのまま残されていることです。座敷の障子戸や柱には、新政府軍侵攻時につけられた弾痕や刀傷が今も生々しく残っており、明治維新以前の建造物でこれほど戦闘の痕跡が残っている場所は他になかなか見られません。

跡は一つや二つではなく、建物のあちこちに無数に残されており、当時の戦闘がいかに激しいものだったかを物語っています。あわせて、御入御門・御座の間・御次の間なども当時の姿のまま保存されており、歴代藩主の愛用品や参勤交代の道具類、古文書なども見ることができます。

見学時の注意点

旧滝沢本陣は見学者が少ない時間帯には受付に人がいないこともあります。その場合は、受付テーブルに設置された料金箱に見学料を入れて見学する形になります。

また、12月〜3月の期間は事前予約が必須です。見学を希望する場合は、事前に電話で予約を済ませてから訪れるようにしましょう。

基本情報(営業時間・料金・アクセス)

項目内容
電話番号090-7334-9277
営業時間(4〜9月)9:00〜17:00
営業時間(10〜11月)9:00〜16:00
営業時間(12〜3月)予約必須
休館日年中無休(ただし12〜3月は要予約)
駐車場あり(7台)

見学料金

区分料金
大人400円
高校生300円
小・中学生200円
子供100円

よくある質問(FAQ)

Q. 旧滝沢本陣は飯盛山から近いですか? A. 飯盛山とあわせて訪れる観光客が多く、白虎隊ゆかりの史跡を巡るコースとして相性の良い立地です。

Q. 12月〜3月に見学したい場合はどうすればいいですか? A. この期間は予約が必須です。基本情報に記載の電話番号へ事前に連絡し、予約を取ってから訪れてください。

Q. 受付に誰もいない場合はどうすればいいですか? A. 受付テーブルに設置されている料金箱に見学料を入れてから見学してください。

Q. 建物内部の弾痕や刀傷はどこで見られますか? A. 座敷の障子戸や柱を中心に、建物のあちこちに残されています。当時の激しい戦闘の様子を今に伝える貴重な痕跡です。

まとめ

白虎隊と深いゆかりを持つ旧滝沢本陣は、もともとは参勤交代や領内巡視の際の休息所として使われていた場所です。戊辰戦争の際には会津藩の本営となり、ここから白虎隊士中二番隊が戸ノ口原へと出陣していきました。座敷には当時の戦闘でつけられた弾痕や刀傷が数多く残されており、その激しさを肌で感じることができます。

時間帯によっては受付に誰もいないこともあり、その際は料金箱に見学料を入れる形になります。また12月〜3月に見学する場合は事前予約が必須なので、訪問前に必ず電話で予約を済ませておきましょう。

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