島原城の歴史とは?築城から島原の乱・天守復元と武家屋敷を解説

島原城の五層の天守を下から見上げた様子。石垣の前に築城400年の幕 九州
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長崎県島原市の真ん中に、白い五層の天守がそびえる島原城。江戸時代のはじめに築かれ、島原の乱、城主の入れ替わり、明治の解体、そして昭和の天守の復元と、400年のあいだにいくつもの出来事を見てきた城です。

この記事では、島原城の歴史を順番にたどりながら、天守の中の展示、天守からの眺め、城の西側に残る武家屋敷の町並みまでを、2023年9月に歩いたときの写真とあわせて紹介します。入館料・開館時間などは、2026年10月25日に公式サイトで確かめた内容です。

島原の商店街の先に見える島原城の天守と、雲のかかった眉山

町の通りの先に島原城の天守が見えます。うしろの山は眉山。

島原城とは?基本情報

島原城は、島原市の中心部、森岳(もりたけ)と呼ばれる高台に建つ城です。公式サイトによると、城の造りは連郭式平城(れんかくしきひらじろ)で、本丸・二の丸・三の丸が並んでいました。

項目内容
築城した人松倉豊後守重政(まつくら ぶんごのかみ しげまさ)
築城元和4(1618)年に着工。4年ないし7年後に完成
天守高さ約33m、破風(はふ)のない層塔型の五層五階
城主4氏19代(松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・再び松平氏)
廃城明治6(1873)年
今の天守昭和39(1964)年に復元

(島原城 公式ホームページ「島原城の歴史」「築城400年」より。2026年10月25日確認)

公式サイトの「築城400年」のページでは、1624年から2024年までを400年としています。写真を撮った2023年9月には、天守の前に「2024年 島原城 築城400年」の幕がかかっていました。

島原城の五層の天守を下から見上げた様子。石垣の前に築城400年の幕

破風のないすっきりした形が島原城の天守の特徴です(2023年9月撮影)。

島原城の歴史① 松倉重政の築城(1618年〜)

島原城を築いたのは、松倉重政です。元和4(1618)年に工事を始め、天守のほか三層櫓3つ、二層櫓7つ、平櫓39の櫓を持つ大きな城になりました。公式サイトによると、外郭の広さは46万100㎡あります。

城のまわりには城下町がつくられ、古町・新町・三会町(みえまち)の3つの町に分かれていました。

今も本丸と二の丸の石垣と堀が残っています。城の外側を歩くと、草に覆われた高い石垣と、その上の櫓を見上げることができます。

草の生えた堀と高い石垣、その上に建つ島原城の櫓

堀の外から見た島原城の石垣と櫓。石垣と堀は江戸時代から残るものです。

島原城の歴史② 島原の乱(1637〜1638年)

島原城の歴史を語るうえで欠かせないのが、島原の乱です。

公式サイトによると、乱は1637年10月25日に有馬の村で始まりました。重い年貢、不作、キリスト教の取り締まりへの不満が重なったことが背景とされています。一揆の人たちは島原城を攻めましたが、城は落ちませんでした。

その後、天草でも人々が立ち上がり、12月には島原と天草の人々が原城跡に集まります。約3万人が、翌年の2月28日まで約3か月立てこもりました。まとめ役になったのが、当時16歳だったとされる天草四郎です。幕府と藩の軍は約12万人にのぼりました。

乱のあと、城主の松倉氏はその責任を負わされます。島原城は、乱を招いた側の城として歴史に残ることになりました。

島原城の歴史③ 城主の入れ替わりと島原大変

松倉氏のあとは高力(こうりき)氏が入りますが、公式サイトでは「政治に失敗した」とされています。寛文9(1669)年には、松平忠房が丹波国福知山から入りました。この松平家に付き従って島原に来た家臣たちの屋敷が、あとで紹介する武家屋敷です。

寛延2(1749)年には、幼い藩主と入れ替わる形で、宇都宮から戸田氏が入りました。その後ふたたび松平氏が戻り、明治まで続きます。

寛政4(1792)年には「島原大変」と呼ばれる大きな災害で、城下町は大きな被害を受けました。公式サイトによると、そのあと町は復興し、有明海の交通の中心として栄えています。

島原城の歴史④ 明治の解体と昭和の天守復元

明治6(1873)年の廃城令で島原城は廃城となり、明治9(1876)年までに天守や櫓は取り壊されました。残ったのは石垣と堀でした。

天守がふたたび建ったのは、昭和39(1964)年のことです。今の天守は、江戸時代の天守と同じく破風のない五層の形で建てられています。

城のまわりの路地からは、ふと天守が顔を出す場面があります。石畳の坂道の先に白い天守が見える景色は、城下町ならではです。

石畳の路地の坂道の先に見える島原城の天守

城のまわりの路地から見上げた島原城の天守。

天守の展示と、最上階からの眺め

今の天守の中は資料館になっています。公式サイト「城内散策」によると、各階の展示は次のとおりです。

  • 1階 キリシタン史料:貿易・宣教の時代、禁教の時代、島原の乱の3つのコーナー
  • 2階 郷土史料:歴代の藩主や島原城にかかわる品々
  • 3階 民俗史料:焼き物、藩兵の武器、庶民の暮らしの道具
  • 5階 展望所:島原の町、眉山、熊本の山々を360度見渡せる
島原城の天守の中のガラスケースに並ぶ鎧と兜の展示

天守の中には鎧や兜がずらりと並びます。

最上階の展望所からは、すぐ目の前に眉山がせまり、その手前に島原の町が広がります。

島原城の天守から見た島原の町並みと眉山

天守の最上階から見た眉山と島原の町。

城内の見どころ:天草四郎像と西望記念館

天守のまわりの広場にも、見どころがあります。

まず目に入るのが、手を合わせて立つ天草四郎の像です。島原の乱で一揆のまとめ役になった天草四郎の像が、一揆の人たちが攻めた島原城の本丸に立っています。

島原城の本丸で手を合わせて立つ天草四郎の像と、うしろの松の木

本丸に立つ天草四郎の像。

城内には西望記念館もあります。地元出身の彫刻家・北村西望の米寿を祝って1972年に開かれた記念館で、代表作約70点が展示されています(公式サイトより)。屋外にも大きな作品が置かれていて、馬に乗って弓を引く「若き日の織田信長」の像もそのひとつです。

島原城の城内に置かれた、馬に乗って弓を引く若き日の織田信長の銀色の像

屋外に置かれた北村西望の作品「若き日の織田信長」。

また、観光復興記念館では、平成3(1991)年の雲仙普賢岳の噴火の経過を大きなスクリーンで約15分上映しています。天守・西望記念館・観光復興記念館の3館は、共通の入館料で見学できます。

島原城の西側に残る武家屋敷の町並み

島原城を見たら、ぜひ西側の武家屋敷まで足をのばしてみてください。

現地の説明板によると、このあたりは中級・下級武士の屋敷が並んだところで、1軒の敷地は3畝(90坪)ずつに区切られていました。家ごとに枇杷・柿・柑橘類などの果樹を植えていたそうです。

いちばんの特徴は、道の真ん中を流れる水路です。説明板には「道路の中央を流れる清流は、往時の生活用水路である」と書かれています。

石垣にはさまれた道の真ん中を水路が流れる島原の武家屋敷の通り

石垣のあいだの道の真ん中を水路が流れます。

長崎県の資料によると、山本邸・篠塚邸・鳥田邸の3軒が無料で公開されています。

説明板によると、篠塚家は寛文9(1669)年に松平忠房が福知山から島原へ移ったときに付き従ってきた家です。明治の初めまで11代続き、郡方祐筆(書記)や代官を務めました。鳥田家も同じ年に島原に入り、幕末には材木奉行などを務めた家柄です。

島原の武家屋敷のかやぶき屋根の屋敷と、縁側から見える座敷

かやぶき屋根の武家屋敷。座敷の中も見学できます。

島原城の入館料・開館時間・アクセス

(2026年10月25日に、島原城 公式ホームページで確認)

項目内容
住所長崎県島原市城内1丁目1183-1
開館時間9:00〜17:30(入館は17:00まで)
休館日無休
入館料大人700円、小・中・高校生350円(天守閣・観光復興記念館・西望記念館の3館共通)
団体(15名以上)大人560円、小・中・高校生280円
駐車場約90台。一般車両500円
電話0957-62-4766
公式サイト島原城 公式ホームページ

料金は変わることがあります。出かける前に、公式サイトで最新の情報を確かめてください。

アクセス:島原鉄道の島原駅から歩いて行けます。

熊本から行く場合は、熊本港から島原港へのフェリーが便利です。フェリーの時刻表・料金・2社の違いは「熊本港〜島原港フェリー完全ガイド|時刻表・料金・乗り場と2社の違い」でまとめています。

熊本城とあわせて回るなら、「熊本城の歴史とは?加藤清正の築城から西南戦争、2度の地震と石垣の復旧まで解説」もどうぞ。ほかの城の歴史は「広島城の歴史とは?毛利輝元の築城から原爆、天守の復元と2026年の閉城まで解説」でも紹介しています。

よくある質問

島原城は誰が建てた城ですか?

松倉重政です。元和4(1618)年に工事を始め、4年ないし7年かけて完成しました。

島原城の天守は江戸時代のものですか?

いいえ。江戸時代の天守は明治の廃城で取り壊され、今の天守は昭和39(1964)年に復元されたものです。石垣と堀は江戸時代から残っています。

島原城と島原の乱はどんな関係がありますか?

島原の乱では、一揆の人たちが島原城を攻めましたが、落とせませんでした。乱のあと、城主の松倉氏が責任を負わされました。

島原城の入館料はいくらですか?

大人700円、小・中・高校生350円です(2026年10月25日確認)。天守閣・観光復興記念館・西望記念館の3館共通です。

島原城と武家屋敷をゆっくり回るなら、島原・雲仙に泊まるのが便利です

島原城と武家屋敷は、島原鉄道の島原駅から歩いて行ける距離にあります。島原・雲仙に泊まれば、城の展示と武家屋敷の水路をゆっくり見てから、島原港のフェリーで熊本へ渡る回り方もしやすくなります。

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まとめ:島原城は400年の歴史を天守と町並みでたどれる城

  • 島原城は、松倉重政が元和4(1618)年に築き始めた、破風のない五層の天守が特徴の城
  • 島原の乱、城主の入れ替わり、島原大変、明治の解体をへて、昭和39(1964)年に天守が復元された
  • 天守の中はキリシタン史料や鎧の展示、最上階からは眉山と島原の町が見渡せる
  • 城の西側には、道の真ん中に水路が流れる武家屋敷の町並みが残る

参考・確認した情報(2026年10月25日確認)

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