熊本城の歴史とは?加藤清正の築城から西南戦争、2度の地震と石垣の復旧まで解説

熊本城の大天守。1960年に再建され、2021年に復旧が完了した 九州
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熊本城は、加藤清正が築いた城です。400年あまりの間に、西南戦争の火災と、2016年・2026年の2度の大きな地震をくぐり抜けてきました。

この記事では、熊本城の歴史を、築城から現在の石垣の復旧まで順番に解説します。崩れた石垣や、地面に並べられた石の写真も紹介します。最後に、開園時間・料金・熊本駅からの行き方もまとめました。

私は2023年9月27日に熊本城を歩きました。写真はすべてそのときに撮ったものです。2026年7月の地震より前の様子なので、今の姿とは違うところがあります。

この記事の情報について

  • 開園時間・料金・公開状況の確認日:2026年10月11日(熊本城公式サイトで確認)
  • 熊本城は、2026年7月28日の地震(令和8年熊本地震)で石垣が崩れるなどの被害を受けました。8月13日に公開が再開され、公式サイトでは「通常営業」と案内されています(2026年9月18日時点の案内)。
  • 余震や点検の状況で、公開の内容が変わることがあります。出かける前に公式サイトの「お知らせ」を確認してください。

熊本城の歴史が一目でわかる年表

まず、熊本城の主な出来事を年表で見てみましょう。

年出来事
1588年(天正16年)加藤清正が肥後の北半分の領主になり、隈本城(古城)に入る
1599年(慶長4年)茶臼山で新しい城(今の熊本城)を築き始めたとみられる
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦い。このころ大天守が完成
1607年(慶長12年)新しい城が完成。「隈本」を「熊本」に改める
1611年(慶長16年)清正が50歳で亡くなり、子の忠広が跡を継ぐ
1632年(寛永9年)加藤家が改易になり、細川忠利が肥後に入る
1871年(明治4年)廃藩置県
1877年(明治10年)西南戦争。火災で天守や本丸御殿などが焼ける
1889年(明治22年)熊本地震(金峰山地震)で被害を受ける
1933年(昭和8年)宇土櫓など12棟が国宝に、石垣と堀が史跡に指定される
1955年(昭和30年)特別史跡に指定される
1960年(昭和35年)鉄骨鉄筋コンクリート造で大天守・小天守を再建
2016年(平成28年)熊本地震で被害を受ける
2021年(令和3年)天守閣の復旧が完了
2026年(令和8年)7月28日の地震で、石垣がふたたび崩れる

※2021年までは熊本城公式サイトの年表、2026年は熊本市の発表によります。

公式:熊本城の歴史|熊本城公式サイト

加藤清正の築城|「隈本」から「熊本」へ

熊本城の近くにある加藤清正公の像

熊本城を築いたのは、戦国武将の加藤清正です。

清正は1588年(天正16年)に、肥後の北半分の領主として隈本城(古城)に入りました。その後、茶臼山と呼ばれる丘に、新しい城を築き始めます。公式サイトの年表では、築城を始めたのは1599年(慶長4年)とみられています。

1600年(慶長5年)のころに大天守ができあがりました。城全体が完成したのは1607年(慶長12年)です。このとき、地名も「隈本」から「熊本」に改められました。

清正は城づくりだけでなく、川の工事や水田の開発にも力を入れました。熊本では今も「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれて親しまれています。

清正の石垣「武者返し」

熊本城といえば、石垣です。熊本城の石垣は「武者返し(むしゃがえし)」と呼ばれています。

下の方はゆるやかで、登れそうに見えます。ところが、上に行くほど反りが強くなり、登れなくなります。武士も忍者も登れないことから、この名前が付きました。

細川家の時代|240年近く続いた城主

清正は1611年(慶長16年)に50歳で亡くなり、子の忠広が跡を継ぎました。しかし1632年(寛永9年)に、加藤家は改易になります。

代わって肥後に入ったのが、細川忠利です。ここから1871年(明治4年)の廃藩置県まで、細川家が熊本城の城主を務めました。

1640年(寛永17年)には、忠利が剣豪の宮本武蔵を熊本に招き、城の近くの千葉城町に屋敷を与えています。1755年(宝暦5年)には、二の丸に藩の学校「時習館」が開かれました。

熊本城の棒庵坂の案内板

城の東側にある「棒庵坂(ぼうあんざか)」には、加藤家と細川家の両方に仕えた人物の名前が残っています。現地の案内板によると、坂の下に下津棒庵(しもつぼうあん)の屋敷があったことが、名前の由来です。江戸時代には坂の途中に門と番所が置かれ、厳重に守られていました。

西南戦争|天守が焼け、石垣が残った

明治になると、城の中は陸軍の用地になりました。1874年(明治7年)には、本丸に熊本鎮台の本営が移ります。

1877年(明治10年)、西南戦争が起こります。その直前に城で火災があり、天守や本丸御殿などが焼けてしまいました。火災の原因は、放火や自分たちで火をつけたなどの説がありますが、はっきりしていません。

大半の建物は失われましたが、石垣のほとんどは当時の姿のまま残りました。今の大天守・小天守は、1960年(昭和35年)に鉄骨鉄筋コンクリート造で建て直されたものです。

熊本城の大天守。1960年に再建され、2021年に復旧が完了した

天守閣の中に入ってみた

私は有料エリアにも入り、天守閣に登りました。

天守閣の中には、熊本城の歴史がわかりやすく展示されていました。私はそれまで、熊本城がどんな歴史をたどってきたのかを知りませんでした。ここで初めて、流れをつかむことができました。

天守閣からの見晴らしも、とても良かったです。熊本の街を一望できます。

2016年の熊本地震|石垣の約3割に被害

2016年(平成28年)4月の熊本地震で、熊本城は大きな被害を受けました。

熊本市の「熊本城復旧基本方針」によると、被害は次のとおりです。

項目被害の内容
石垣(修復が必要な範囲)全体の約3割にあたる約23,600㎡(崩落・膨らみ・緩み)
石垣(うち崩れ落ちた範囲)約8,200㎡(全体の約1割)
重要文化財の建物13棟すべてが被害を受けた

崩れた石垣は、今も城のあちこちに残る

熊本地震で崩れたままの熊本城の石垣。倒れた塀の屋根瓦も見える

2023年に歩いたときも、崩れたままの石垣があちこちに残っていました。上の写真は、加藤神社の近くで撮ったものです。石垣の石と一緒に、倒れた塀の屋根も斜面に横たわっています。

熊本城の櫓の下で崩れた石垣。石垣の内側に詰められた小さな石が見える

こちらは、櫓の真下の石垣が崩れた場所です。表の大きな石が落ち、内側に詰められていた小さな石がむき出しになっています。上の白い壁にも、ひびが入っているのがわかります。

ネットで覆われた熊本城の石垣

崩れそうな石垣には、ネットがかけられていました。

並べられた石|石垣を元どおりに積み直すために

熊本城の棒庵坂の近くに並べられた石垣の石
熊本城の石置き場。崩れた石垣の石が一面に並ぶ

棒庵坂の近くには、石垣の石が地面にずらりと並べられていました。崩れた石垣から集めた石です。

熊本城の石垣は文化財なので、崩れた石は元あった場所に戻して積み直します。そのために、石を1つずつ管理しています。

  • 石を集めるときに、1つ1つがどこに落ちていたかを記録する(熊本市 熊本城調査研究センターの資料による)
  • 石には、石垣のおおよその場所を示す文字、元の石垣を示す番号、集めた順の番号を書いた印を付ける(国土交通省の解説資料による)
  • 熊本大学などは、崩れる前の写真と石の写真を照らし合わせて、元の場所を探すしくみを開発した

並んだ石は、ただ置いてあるわけではありません。元の場所に戻る順番を待っている石です。熊本城を歩くときは、石垣だけでなく、この石にも目を向けてみてください。

復旧が終わるのは2052年度の予定

天守閣の復旧は、2021年(令和3年)に完了しました。長塀は2021年、監物櫓は2023年に復旧が終わっています。

一方で、宇土櫓や飯田丸五階櫓、各地の石垣は、今も工事や設計が続いています。熊本市は2023年3月に「熊本城復旧基本計画」を改定し、計画の期間を15年延ばして2052年度までとしました。

公式:復旧状況|熊本城公式サイト

2026年7月の地震|石垣がふたたび崩れた

2026年7月28日の16時27分ごろ、熊本県熊本地方を震源とする地震が起きました。気象庁の発表では、マグニチュードは7.1(速報値)で、宇城市と氷川町で震度7を観測しています。気象庁はこの地震を「令和8年熊本地震」と名付けました。

熊本城も、ふたたび被害を受けました。熊本市の災害対策本部の資料(7月29日16時時点)では、次のように報告されています。

項目被害の内容
石垣西出丸の西側の石垣など40か所で崩落など
建物天守閣など8か所で土壁の割れなど

熊本城は地震のあと休園しましたが、熊本市が安全を確かめ、8月13日に公開を再開しました。公式サイトでは、熊本城は「通常営業」と案内されています(2026年9月18日時点)。

ただし、城の近くの「熊本城ミュージアム わくわく座」は臨時休館が続いています(同じく9月18日時点)。

報道によると、9月には、北大手門の近くで道をふさいでいた石を動かす作業が始まりました。2052年度としていた復旧の完了は、遅れる可能性があると伝えられています。

この記事の写真は2023年のものです。写真に写っている石垣や石置き場も、今は様子が変わっているかもしれません。

歴史を感じる見どころ|無料で歩ける場所

熊本城の周りには、入園料がいらない場所にも、歴史を感じる見どころがあります。私が歩いた順に紹介します。

坪井川と石垣

坪井川ごしに見る熊本城の石垣

城のそばを流れる坪井川です。川の向こうに、木におおわれた石垣が続いています。

熊本城稲荷神社

熊本城稲荷神社の境内

城の東側にある神社です。ここから棒庵坂を上がると、加藤神社の方へ出られます。

加藤神社|天守がよく見える

加藤神社の拝殿
加藤神社の境内から見た熊本城の大天守と小天守

加藤清正をまつる神社です。境内からは、大天守と小天守が並んで見えます。私が訪れたときは、天守の横に工事用のクレーンが立っていました。

加藤神社の境内の大きな木。幹にしめ縄が巻かれている
加藤神社の境内にある白鬚大明神

境内には、しめ縄が巻かれた大きな木や、赤い鳥居の「白鬚大明神」もあります。

公式:加藤神社

熊本城の開園時間・料金

項目内容
開園時間(9月〜6月)9:00〜17:00(最終入園16:00、天守閣の最終登閣16:30)
開園時間(7月・8月)9:00〜19:00(最終入園18:00、天守閣の最終登閣18:30)
休園日12月29日(荒天などで休園する場合あり)
入園料高校生以上800円、小・中学生300円、未就学児無料
入口平日は南口のみ。土・日・祝は南口と北口
問い合わせ熊本城運営センター 096-223-5011(9:00〜17:00)

※2026年10月11日に公式サイトで確認。

  • 「秋のくまもとお城まつり」の期間は、夜まで開いています。 2026年10月2日(金)〜11月1日(日)は、開園時間が9:00〜21:00(最終入園20:00)になります
  • 工事の進み具合で、北口が使えないことがあります。 公式サイトの「お知らせ」で確認してください
  • 有料エリアの中では食事ができません。 持ち込めるのは、ふた付きの飲み物だけです
  • 天守閣の中では、三脚と自撮り棒が使えません。 キャスター付きの荷物も持ち込めません

公式:観覧案内|熊本城公式サイト

熊本城へのアクセス

熊本駅から市電で行く

熊本駅前の市電のりばから、A系統(健軍町方面)に乗ります。「熊本城・市役所前」で降りて、そこから歩きます。熊本駅前から熊本城・市役所前までは約10分です(熊本市の公式サイトの案内による)。

周遊バス「しろめぐりん」で行く

熊本駅から、熊本城の周りをめぐる周遊バス「しろめぐりん」も出ています。1日乗車券には、周辺の施設の割引券が付いています。

車で行く

駐車場営業時間料金(普通車)
二の丸駐車場(210台)9月〜6月 8:00〜18:30/7月・8月 8:00〜20:302時間まで400円、以降1時間ごとに200円

※2026年10月11日に公式サイトで確認。ほかに、三の丸第1・第2駐車場、宮内駐車場などがあります。

城の中では、無料のシャトルバスも走っています。「桜の馬場 城彩苑」「南口前」「二の丸駐車場」を結び、9時〜17時に10〜15分おきに出ています。

公式:アクセス・駐車場|熊本城公式サイト

熊本城をゆっくり歩くなら、熊本市内に1泊するのが便利

熊本城は、石垣や櫓、加藤神社まで見て回ると、歩く距離が長くなります。秋のお城まつりの期間は、夜まで開園しています。熊本市内に泊まれば、昼と夜の両方の熊本城を楽しめます。

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よくある質問(FAQ)

Q. 熊本城は誰が、いつ築いたのですか?

A. 加藤清正が築きました。1599年(慶長4年)に築城を始めたとみられ、1607年(慶長12年)に完成しました。

Q. 熊本城の天守は、昔のままの建物ですか?

A. いいえ。もとの天守は、1877年(明治10年)の西南戦争の直前に火災で焼けました。今の大天守・小天守は、1960年(昭和35年)に鉄骨鉄筋コンクリート造で建て直されたものです。

Q. 熊本城は今、見学できますか?

A. 見学できます。2026年7月28日の地震のあと休園しましたが、8月13日に公開を再開しました。公式サイトでは「通常営業」と案内されています(2026年9月18日時点)。最新の状況は公式サイトで確認してください。

Q. 熊本城の石垣は、いつ元どおりになりますか?

A. 熊本市の計画では、復旧が終わるのは2052年度の予定です。ただし、2026年7月の地震で石垣がふたたび崩れたため、遅れる可能性があると報道されています。

Q. 城の中に並べてある石は何ですか?

A. 崩れた石垣から集めた石です。元あった場所に戻して積み直すために、1つずつ記録を取り、印を付けて保管しています。

Q. 入園料はいくらですか?

A. 高校生以上が800円、小・中学生が300円です。未就学児は無料です(2026年10月11日に公式サイトで確認)。

まとめ

熊本城は、加藤清正が築き、細川家が240年近く守ってきた城です。

  • 1607年(慶長12年)に完成し、このとき「隈本」が「熊本」になった
  • 1877年(明治10年)の西南戦争の直前に、天守と本丸御殿が火災で焼けた。石垣は残った
  • 2016年の熊本地震で、石垣の約3割に修復が必要になった
  • 崩れた石は、記録を取って並べ、元の場所に戻して積み直す
  • 天守閣は2021年に復旧した。全体の復旧は2052年度の予定
  • 2026年7月28日の地震で、石垣が40か所で崩れるなどした。8月13日に公開を再開している

熊本城の石垣は、何度崩れても、同じ石で積み直されてきました。訪れたときは、天守だけでなく、石垣と並べられた石もじっくり見てみてください。

城の歴史が好きな方は、会津若松の鶴ヶ城の歴史の記事もあわせてどうぞ。


参考・確認した公式情報(2026年10月11日確認)

参考にした報道

コメント

  1. Wellness780 より:
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