丸亀城の歴史と見どころ|高さ日本一の石垣と現存12天守、大手門・お城まつり

内堀ごしに見た丸亀城。山の中腹から上に重なる石垣と、いちばん上の天守 四国
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香川県丸亀市の丸亀城は、高い石垣が何段も重なる上に、小さな白い天守が立つお城です。丸亀市は「高さ日本一の石垣」の城として紹介しており、天守は全国に12しか残っていない木造天守(現存12天守)の1つです。

この記事では、丸亀城の歴史を築城から明治・昭和まで順番にたどり、大手門・石垣・天守の見どころと、アクセスをまとめます。写真は2024年5月4日、「丸亀お城まつり」の日に撮ったものです。

※開館時間・料金などは、2026年10月30日に丸亀市の公式サイトで確認した内容です。

丸亀城とは?標高約66mの亀山に築かれた平山城

丸亀城は、標高約66mの亀山に築かれた平山城で、「亀山城」とも呼ばれます。山の上から順に本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪(おびぐるわ)・山下曲輪(さんげくるわ)があり、内堀の内側が国の史跡になっています。

内堀ごしに見た丸亀城。山の中腹から上に重なる石垣と、いちばん上の天守

下から見上げると、木々の上に石垣が段になって続き、その頂に天守が小さく見えます。お城の形を、堀・石垣・天守の順に一度に見渡せるのが丸亀城の特徴です。

丸亀城の歴史

生駒親正の築城と、一国一城令での廃城

丸亀城の始まりは、1597年(慶長2年)です。讃岐の領主だった生駒親正と、その子の一正が、亀山に城を築き始めました。丸亀市は、父子が5年がかりで築いたと紹介しています。

1602年(慶長7年)に一正が高松城へ移ると、丸亀城には城代が置かれました。そして1615年(元和元年)、江戸幕府の一国一城令によって、丸亀城はいったん廃城になります。

山崎家治の再築と、京極家の時代

城がよみがえったのは、1643年(寛永20年)です。丸亀に入った山崎家治が、幕府から銀300貫の援助を受けて、丸亀城を築き直しました。1645年(正保2年)には、幕府の命令で丸亀城の絵図(正保城絵図)を出しています。

1658年(万治元年)には京極高和が丸亀藩主となり、1660年(万治3年)に今の天守ができあがりました。1670年(寛文10年)には、城の正面(大手)を北側の今の場所に移しています。

明治から現在まで

1869年(明治2年)の版籍奉還のあと、城内の屋敷は火事で焼けてしまいます。1874年(明治7年)には陸軍の丸亀兵営ができ、1876〜1877年(明治9〜10年)ごろに櫓や多聞櫓(長屋のような櫓)が取り壊されました。

それでも天守と大手門は残りました。天守は1943年(昭和18年)に国宝になり、1950年(昭和25年)の解体修理が終わったときに重要文化財になっています。1953年(昭和28年)には丸亀城跡が国の史跡に、1957年(昭和32年)には大手門も重要文化財になりました。

年できごと
1597年(慶長2年)生駒親正・一正が築城を始める
1615年(元和元年)一国一城令で廃城
1643年(寛永20年)山崎家治が再築
1660年(万治3年)京極家の時代に天守が完成
1670年(寛文10年)大手を北側の今の場所へ
1950年(昭和25年)天守の解体修理が完成、重要文化財に
1957年(昭和32年)大手門が重要文化財に

見どころ1:大手門から見返り坂へ

大手門(大手一の門・二の門)

丸亀城の入口は、北側の大手門です。堀を渡ると、まず小さな二の門があり、その奥に、2階建ての櫓門(やぐらもん)である一の門が立っています。丸亀市は一の門を「大手の正門らしい威厳と風格を備えた櫓門」と紹介しています。

お城まつりの日の丸亀城、堀にかかる橋から大手門へ向かう人と、奥の山に見える天守
丸亀城の大手一の門(櫓門)、太い柱と梁の門の上にのる白壁の櫓

一の門のまわりの石垣は、大きな石を四角く整えて積んであり、門の大きさとあわせて、お城の正面らしい造りになっています。

見返り坂

大手門をくぐって城内に入ると、本丸へ向かう坂道が始まります。これが見返り坂です。傾斜が急で、ときどき立ち止まって振り返りたくなることから、この名前で呼ばれるようになったといわれます。坂の横には、高い石垣が続きます。

見どころ2:「扇の勾配」の高石垣

丸亀城でいちばんの見どころが、石垣です。山のふもとから頂上まで、石垣が何段にも重なっています。なかでも三の丸の北側(瀬戸内海側)の石垣は、高さ20m以上の高石垣になっています。

丸亀城の何段にも重なる石垣と、いちばん上の段に立つ天守

石垣の角の部分は、長い石の向きを交互に変えて積む「算木積み(さんぎづみ)」で、下はゆるやかに、上に行くほど垂直に近くなる曲線を描いています。この形は「扇の勾配」と呼ばれます。

石垣の崩落と、続いている復旧工事

丸亀城の石垣は、2018年(平成30年)10月8日に帯曲輪の西面が、翌9日には三の丸の坤櫓(ひつじさるやぐら)跡が崩れました。三の丸坤櫓跡の崩落は、高さ約17mにおよびます。

今も復旧工事が続いていて、丸亀市は公式サイトの「石垣修復情報」で工事の進みぐあいを知らせています。完成の目標は一度、2028年3月末まで延ばされ、2025年6月には工期と事業費をもう一度見直したと案内されています。報道(KSB瀬戸内海放送)によると、見直し後の完成は2031年3月の予定です。

工事中は、通れない場所があることもあります。出かける前に、丸亀市の公式サイトで確かめてください。

見どころ3:現存12天守の天守

石垣の上に立つ天守は、高さ約15m、三重三階の造りです。1660年(万治3年)に完成した、江戸時代からの木造天守で、全国に12しか残っていない現存天守の1つです。

大手門の近くの内堀と白壁ごしに見上げた丸亀城の天守と石垣

天守の中にも入れます(有料)。月見櫓跡からの眺めについて、丸亀市は、ゆるやかに流れる土器川と飯野山(讃岐富士)が美しく見えると紹介しています。また二の丸には、水深30m以上で「日本一深い井戸」といわれる二の丸井戸があります。

天守の開館時間と入場料

項目内容
開館時間9時〜16時30分(入城は16時まで)
入場料大人400円、中学生以下は無料
休み決まった休みはなし(警報が出たとき、点検・工事、行事のときなどは臨時で休むことがあります)

※2026年10月30日に丸亀市の公式サイトで確認しました。城内(天守以外)は自由に歩けます。

お城まつりの日の丸亀城

写真を撮った2024年5月4日は、丸亀お城まつりの日でした。毎年5月のゴールデンウィークに丸亀城の周りで開かれるお祭りで、2026年は5月3日・4日に第77回が開かれました。

丸亀城の堀の石垣の上を泳ぐ鯉のぼりと、木々の上にのぞく天守

とにかく人が多かったです。城の中も色んなイベントがあったので歩くのが少し大変でした。

丸亀城へのアクセス

行き方内容
電車JR丸亀駅から歩いて約15分
車高松自動車道の坂出IC、または善通寺ICから国道11号で丸亀方面へ。どちらもJR丸亀駅まで約20分
駐車場丸亀城内資料館の南側に無料駐車場(約50台、6時〜19時。行事の期間は変わることがあります)。近くに市営の有料駐車場もあります

※2026年10月30日に丸亀市の公式サイトで確認しました。

丸亀は、こんぴらさん(金刀比羅宮)のある琴平と同じ、香川県の西のほうにあります。写真を撮った日も、琴平の金刀比羅宮を訪れたあとに丸亀城へ向かいました。こんぴらさんの歴史は、こちらの記事でまとめています。

香川をめぐった旅行記は、こちらです。

よくある質問

丸亀城の天守に入るのにいくらかかりますか?

大人400円で、中学生以下は無料です。開館時間は9時〜16時30分(入城は16時まで)です(2026年10月30日、丸亀市の公式サイトで確認)。

丸亀城の石垣はなぜ有名なのですか?

山のふもとから頂上まで石垣が何段も重なり、丸亀市は「高さ日本一の石垣」と紹介しています。三の丸北側の石垣は高さ20m以上あり、角の部分は「扇の勾配」と呼ばれる美しい曲線を描いています。

丸亀城は誰が建てたのですか?

1597年に生駒親正・一正の父子が築き始めました。一国一城令でいったん廃城になったあと、1643年に山崎家治が築き直し、天守は京極家の時代の1660年に完成しました。

丸亀城と琴平をめぐるなら、丸亀・坂出・宇多津に泊まるのが便利

丸亀城は、JR丸亀駅から歩いて約15分です。丸亀に泊まれば、天守が開く9時に合わせて城を歩き、同じ香川県の西のほうにある琴平の金刀比羅宮にも足をのばせます。

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まとめ

丸亀城は、生駒親正が築き、山崎家治が再築し、京極家の時代に天守ができあがったお城です。何段にも重なる石垣と、江戸時代から残る木造の天守、重要文化財の大手門を、ふもとから頂上まで順番に見ることができます。石垣は今も復旧工事が続いているので、出かける前に丸亀市の公式サイトで、通れる場所を確かめてから行ってください。


参考・確認した情報(2026年10月30日確認)

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