香川県琴平町、象頭山(ぞうずさん)の中腹に鎮座する金刀比羅宮(ことひらぐう)。「こんぴらさん」の愛称で親しまれ、本宮まで785段も続く長い石段の参道で知られる、四国を代表する神社です。
江戸時代には「一生に一度はこんぴら参り」といわれるほど全国から参拝者が集まり、今も海の神様として船乗りや漁業関係者から篤い信仰を集めています。
この記事では、金刀比羅宮の歴史を、創祀の伝承から「金毘羅大権現」と呼ばれた時代、明治の神仏分離、そして現在の姿まで、年表つきでわかりやすく解説します。

金刀比羅宮とは?まずは基本をおさらい
金刀比羅宮は、海上交通の守り神として信仰されてきた神社です。主祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)で、崇徳天皇もあわせて祀られています。全国各地にある「金刀比羅神社」「琴平神社」の総本宮でもあります。
参道口から御本宮までは785段、さらに奥社(厳魂神社)までは合計1,368段の石段が続きます。門前町には土産物店や旅館が並び、石段を上りながら歴史ある町並みを楽しめるのも魅力です。

金刀比羅宮の歴史年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 古代(伝承) | 大物主神が琴平山に行宮を営んだ跡に祀られたと伝わる(古名「琴平神社」) |
| 1165年(永万元年) | 崇徳天皇を本社の相殿に合祀 |
| 中世〜近世 | 本地垂迹説の影響で「金毘羅大権現」と呼ばれるようになる |
| 1573年(元亀4年) | 松尾寺の院主・宥雅が金毘羅堂を建立したと伝わる |
| 1647年(正保4年) | 330石の社領が将軍の朱印地となる |
| 1753年(宝暦3年) | 勅願所となる |
| 1760年(宝暦10年) | 「日本一社」の綸旨を賜る |
| 1837年(天保8年) | 旭社が建立される |
| 1868年(明治元年) | 神仏分離により「金毘羅大権現」から「琴平神社」を経て「金刀比羅宮」へ改称 |
| 2024年(令和6年) | 御本宮など12棟が国の重要文化財に指定される |
ここからは、時代ごとにもう少し詳しく見ていきましょう。
創祀の伝承 ― 大物主神と象頭山
金刀比羅宮の始まりについては、いくつかの言い伝えがあります。
金刀比羅宮の由緒によると、琴平山(象頭山)がまだ瀬戸内海に浮かぶ島だった時代に、大物主神がこの地に行宮(仮の宮)を営まれ、その跡に神様をお祀りしたのが始まりとされています。古くは「琴平神社」と呼ばれていました。
ほかにも、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ)がこの山で金毘羅の神験に出会ったという伝承もあり、古くから山そのものが信仰の対象だったことがうかがえます。

崇徳天皇の合祀(1165年)
平安時代末期、保元の乱に敗れて讃岐国へ配流となった崇徳上皇は、この地の境内に参籠したと伝えられています。崩御の翌年にあたる永万元年(1165年)、崇徳天皇は本社の相殿に合祀されました。
讃岐と深い縁を持つ崇徳天皇が祀られたことで、金刀比羅宮は讃岐の人々にとって一層特別な存在となっていきます。
「金毘羅大権現」の時代 ― 神仏習合とこんぴら信仰
中世になると、神様は仏が姿を変えて現れたものとする本地垂迹説の影響を受け、この神社は「金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)」と呼ばれるようになりました。「金毘羅」は、もともとインドのガンジス川に棲むワニを神格化した仏教の守護神「クンビーラ」に由来するといわれ、水や航海を守る神として信仰されました。
山には別当寺として松尾寺が置かれ、1573年には院主の宥雅が金毘羅堂を建立したと伝わります。その後、長宗我部元親の讃岐侵攻など戦乱の影響も受けましたが、江戸時代に入ると高松藩主・松平頼重らの保護を受けて大きく発展しました。
1647年(正保4年)には330石の社領が将軍の朱印地となり、大門(もとの仁王門)など多くの建物が整えられていきます。さらに1753年(宝暦3年)には勅願所となり、1760年(宝暦10年)には「日本一社」の綸旨を賜るなど、朝廷からも篤く崇敬されました。
江戸時代のこんぴら参り ― 「一生に一度は」の大ブーム
江戸時代の中ごろになると、海上交通の発達とともにこんぴら参りが庶民の間で大流行します。各地で「金毘羅講」と呼ばれる参拝のための組織がつくられ、伊勢参りと並ぶ人気の旅となりました。

こんぴら参りにまつわるユニークな風習も生まれました。
- こんぴら狗(いぬ):自分で参拝に行けない飼い主の代わりに、犬が首に初穂料や道中の費用を入れた袋を下げ、旅人に連れられて参拝したといわれます。参道の途中には、こんぴら狗の像が置かれています。
- 流し樽:航海中の船が、初穂料やお酒を入れた樽を「奉納金毘羅宮」の幟を立てて海に流し、拾った漁師が代わりに奉納するという風習です。現在も続けられています。
どちらも「なんとかしてこんぴらさんにお参りしたい」という人々の思いが生んだ、こんぴら信仰ならではの文化です。
明治の神仏分離と「金刀比羅宮」への改称(1868年)
明治元年(1868年)、明治政府による神仏分離の方針により、神仏混淆が廃止されます。「金毘羅大権現」の名は使われなくなり、もとの「琴平神社」に戻ったのち、まもなく「金刀比羅宮」と改称されました。主祭神は大物主神と定められ、それまで仏教色の強かった境内の建物や仏像の多くは姿を変えることになります。
その後、1871年(明治4年)に国幣小社、1885年(明治18年)には国幣中社に列せられました。
現在の金刀比羅宮と、歴史を感じる見どころ
2024年(令和6年)には、御本宮の拝殿・本殿をはじめとする12棟が新たに国の重要文化財に指定されました。長い石段を上りながら、各時代の建物を順にたどることができます。
大門
参道の途中に建つ総門です。もとは江戸時代前期に高松藩主・松平頼重が寄進した仁王門で、ここから先が境内となります。

旭社(重要文化財)
1837年(天保8年)に建立された、高さ約18mの二層入母屋造りの建物です。銅瓦葺きの重厚な姿と精緻な彫刻が見事で、金毘羅大権現の時代の面影を今に伝えています。

御本宮
785段目に鎮座する御本宮の本殿は、1876年(明治9年)に造営されたものです。2024年に拝殿・本殿などが国の重要文化財に指定されました。石段を上りきった先からは、讃岐平野を見渡すことができます。

表書院(重要文化財)
萬治年間(1658〜1660年)の建築と伝わる書院で、江戸時代の絵師・円山応挙が描いた「遊鶴図」「遊虎図」などの障壁画が残されています。客殿として使われてきた格式ある空間で、金毘羅大権現の時代の文化の豊かさを感じられます。
こんぴら狗の像
参道の途中には、飼い主の代わりに参拝したこんぴら狗の像があります。江戸時代のこんぴら参りの様子に思いを馳せられる、写真スポットとしても人気の場所です。
実際に参拝して大変だったこと ― 長い石段は覚悟して
実際に参拝してみて一番大変だったのが、御本宮までの長い石段です。参道口から御本宮までは785段。途中には傾斜の急なところもあり、上っているうちに息が上がり、足にもじわじわと疲れがたまっていきます。

そのため、金刀比羅宮へ行くときは必ず運動靴かスニーカーで来ることをおすすめします。ヒールのある靴やサンダル、底の硬い革靴だと、石段の上り下りで足を痛めやすく、最後まで上りきるのがかなりつらくなります。
また、こんぴらさん表参道のお土産屋さんなど周辺の施設では、竹の杖を無料で貸し出ししています。石段を上り始める前にぜひ借りておきましょう。体を支えながら上れるので足への負担が軽くなり、特に下りの石段では大活躍します。
金刀比羅宮の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 金刀比羅宮(ことひらぐう) |
| 住所 | 香川県仲多度郡琴平町892-1 |
| 主祭神 | 大物主神(崇徳天皇を合祀) |
| 石段 | 御本宮まで785段/奥社まで1,368段 |
| 参拝時間 | 6:00〜18:00(季節により変動あり) |
| 表書院 | 9:00〜17:00(入館16:30まで)/一般800円 |
| 公式サイト | https://www.konpira.or.jp/ |
※時間・料金は変更になる場合があります。訪問前に公式サイトで最新情報をご確認ください。
アクセス
- 電車:JR琴平駅・ことでん琴平駅から表参道入口まで徒歩約10分
- 車:町営駐車場や門前町の民間駐車場を利用
よくある質問
Q. 金刀比羅宮は何の神様ですか?
A. 主祭神は大物主神で、古くから海上交通の守り神として全国の船乗りや漁業関係者から信仰されています。
Q. 「金毘羅」と「金刀比羅」の違いは?
A. 江戸時代までは神仏習合により「金毘羅大権現」と呼ばれていました。明治元年(1868年)の神仏分離を経て、現在の「金刀比羅宮」に改称されています。
Q. 石段は何段ありますか?
A. 参道口から御本宮までが785段、奥社(厳魂神社)までは合計1,368段です。
Q. どんな服装・靴で行けばいいですか?
A. 御本宮まで785段の石段を上るため、運動靴かスニーカーがおすすめです。表参道のお土産屋さんなどで竹の杖を無料で貸し出しているので、借りて使うと上り下りが楽になります。
Q. こんぴら狗とは何ですか?
A. 江戸時代、参拝に行けない飼い主の代わりに、犬が旅人に連れられて金刀比羅宮へ参拝したといわれる風習です。
Q. 崇徳天皇が祀られているのはなぜ?
A. 讃岐に配流された崇徳上皇がこの地に参籠したと伝えられ、崩御の翌年の永万元年(1165年)に本社の相殿に合祀されました。
こんぴらさんへは琴平に泊まるのが便利
金刀比羅宮のある琴平には、表参道や琴平駅の周辺に旅館やホテルがあります。前の日に琴平に泊まっておけば、朝から時間を気にせず、785段の石段をゆっくり上れます。
まとめ
金刀比羅宮は、大物主神を祀る古い信仰に始まり、崇徳天皇の合祀、神仏習合による「金毘羅大権現」の時代、江戸時代のこんぴら参りブーム、そして明治の神仏分離による改称と、時代ごとに姿を変えながら人々の信仰を集めてきました。
785段の石段を一段ずつ上るたびに、江戸の旅人やこんぴら狗たちが歩いた道をたどっていると思うと、参拝もまた違った味わいになるはずです。歴史を知ったうえで、ぜひ「こんぴらさん」を訪れてみてください。

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