富山城の歴史をわかりやすく解説|築城から模擬天守まで年表つき

富山城の天守(富山市郷土博物館)と石垣 中部
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富山駅から歩いて行ける富山城址公園には、白い壁の天守が建っています。この天守は江戸時代の建物ではなく、昭和29年(1954年)に建てられたものです。

「では、もともとの富山城はどんな城だったの?」という方に向けて、この記事では富山城の歴史を紹介します。戦国時代の築城から、今の天守ができるまでを、年表と一緒に順番にまとめました。

私は2025年7月14日に富山城址公園を歩きました。記事の写真は、すべてそのときに撮ったものです。

この記事の情報について

  • 歴史の内容は、富山市郷土博物館の公式サイトと、同館の「博物館だより」をもとにしています。
  • 開館時間・観覧料・アクセスの確認日:2026年10月11日(富山市郷土博物館の公式サイトで確認)
  • 開館時間や観覧料は変わることがあります。出かける前に公式サイトで最新の情報を確認してください。

富山城とは|今の天守は昭和29年に建てられた

富山城の天守(富山市郷土博物館)と石垣

富山城は、戦国時代に築かれ、江戸時代には富山藩の前田家が住んだ城です。日本城郭協会の「続日本100名城」にも選ばれています。

今、公園に建っている天守は「富山市郷土博物館」です。昭和29年(1954年)に、富山産業大博覧会の記念の建物として造られました。

実は、江戸時代の富山城に天守はありませんでした。城の中心は、藩主が政治を行い、生活もした「本丸御殿」です。本丸御殿は、今の公園の芝生広場のあたりに建っていました。

項目内容
場所富山県富山市本丸(富山城址公園)
築城天文12年(1543年)、神保長職(じんぼ ながもと)
江戸時代の城主富山藩の前田家(13代)
今の天守昭和29年(1954年)に建てられた富山市郷土博物館
文化財郷土博物館の建物は、国の登録有形文化財(平成16年に登録)

富山城の歴史年表

年出来事
1543年(天文12年)神保長職が富山城を築く
1582年(天正10年)ごろ織田信長の家臣・佐々成政(さっさ なりまさ)の居城になる
1585年(天正13年)成政が豊臣秀吉に降伏し、富山城は壊される
1597年(慶長2年)前田利長が守山城から富山城へ移る(翌年、金沢城へ)
1605年(慶長10年)利長が隠居して、金沢城から富山城へ移る
1609年(慶長14年)大火で富山城と城下町がほぼ焼ける。利長は魚津城、高岡城へ
1615年(元和元年)一国一城令により、いったん廃城になる
1639年(寛永16年)加賀藩から10万石が分けられ、富山藩ができる
1640年(寛永17年)初代藩主・前田利次が富山城に入る
1661年(寛文元年)利次が幕府の許可を受け、城と城下町の整備を始める
1714年(正徳4年)本丸御殿が火事で焼ける
1849年(嘉永2年)10代藩主・前田利保の隠居所「千歳御殿」が建つ
1873年(明治6年)富山城が廃城になる
1945年(昭和20年)富山大空襲
1954年(昭和29年)富山産業大博覧会。天守の形をした建物が建ち、11月に郷土博物館として開館
2004年(平成16年)郷土博物館の建物が国の登録有形文化財になる
2005年(平成17年)耐震改修を終え、富山城の歴史を紹介する博物館として再オープン

ここからは、時代ごとにもう少し詳しく見ていきます。

戦国時代|神保長職の築城と佐々成政

天文12年(1543年)、神保長職が築く

富山城は、天文12年(1543年)に神保長職によって築かれました。神保氏は、当時の越中(今の富山県)で大きな力を持っていた一族です。

その後の富山城は、たびたび戦いの舞台になりました。郷土博物館の展示でも、一向一揆や、上杉謙信・武田信玄といった戦国武将たちの攻防が紹介されています。

佐々成政が入り、秀吉に降伏する

越後の上杉氏に攻められて苦しんでいた神保氏を助けるために、織田信長は家臣の佐々成政を越中へ送りました。成政は天正8年〜13年(1580年〜1585年)ごろに富山を治め、富山城を居城にしました。

天正10年(1582年)に本能寺の変で信長が亡くなると、成政は豊臣秀吉と対立します。

このころの話として有名なのが「さらさら越え」です。天正12年(1584年)の冬、成政が徳川家康に会うために、雪深い「ざら峠」を越えたという伝説です。

しかし、天正13年(1585年)、越中に攻めこんだ秀吉に成政は降伏しました。このとき、富山城は壊されています。成政はその2年後、肥後(今の熊本県)へ領地を移されました。

前田利長の時代|城の整備と慶長14年の大火

成政のあとに富山城を手にしたのが、前田家です。前田利家の長男・利長は、慶長2年(1597年)に守山城(今の高岡市)から富山城へ移りました。翌年には前田家の家督を継ぎ、金沢城へ移っています。

慶長10年(1605年)、利長は弟の利常に家督を譲って隠居し、ふたたび富山城に入りました。江戸時代の城としての富山城を整えたのは、この利長です。

ところが慶長14年(1609年)3月、城下から出た火事で、富山城と周りの町はほぼ焼けてしまいます。利長は魚津城へ移り、同じ年の9月には、新しく築いた高岡城へ移りました。

富山城は、元和元年(1615年)の一国一城令で、いったん廃城になります。

郷土博物館の「博物館だより」には、「もし、慶長14年の火事がなかったら、利長は富山で新しい城・町づくりを始めたかもしれません」と書かれています。

富山藩の城へ|前田利次から13代

富山城址公園に立つ前田正甫公像

寛永16年(1639年)、富山藩ができる

富山城がふたたび城として使われるのは、富山藩ができてからです。

寛永16年(1639年)、加賀藩の前田利常が隠居するとき、次男の利次に10万石が分けられました。これが富山藩の始まりです。

最初は「借りた城」だった

おもしろいのは、利次が最初から富山城の持ち主だったわけではないことです。

このとき、富山城の周りはまだ加賀藩の領地でした。そこで利次は、百塚(ひゃくづか)という場所に新しい城を築くことにします。

ところが、百塚の城はなかなか完成しません。利次は寛永17年(1640年)10月、加賀藩から富山城を借りて入りました。

結局、利次は百塚の城をあきらめます。万治3年(1660年)に加賀藩と領地を交換する許可を得て、富山城を正式に自分の城にしました。

寛文元年(1661年)には、幕府の許可を受けて城と城下町の整備を始めます。藩ができてから約20年たって、ようやく富山城は名実ともに富山藩の城になりました。

その後、富山城は明治時代まで、富山前田家13代の居城でした。

富山城の広さと本丸御殿

江戸時代の富山城は、本丸・二の丸・三の丸・西出丸・東出丸でできていました。今の城址公園は、そのうちの本丸と西出丸にあたります。もとの城は、今の公園よりずっと広かったということです。

城の中心の本丸御殿は、正徳4年(1714年)に火事で焼けました。天保3年(1832年)に建て直す許可が出て、そのとき建てられた御殿が明治まで残りました。

公園の中には、2代藩主・前田正甫(まさとし)の銅像が立っています。正甫は、富山の薬売り(富山売薬)を広めた殿様として伝えられている人物です。

明治から昭和へ|廃城・空襲・今の天守ができるまで

県庁が置かれたことで、城跡が残った

明治4年(1871年)の廃藩置県で富山藩はなくなり、富山城は明治6年(1873年)に廃城となりました。城の土地は少しずつ払い下げられ、堀も埋め立てられていきます。

それでも本丸のあたりが残ったのは、県庁が置かれたからです。本丸御殿は県庁として使われました。明治16年(1883年)からは、昭和5年(1930年)に火事で焼けるまで、城跡はずっと県庁の敷地でした。

その後、城跡は昭和8年(1933年)に都市計画の風致地区に指定され、守られることになります。

昭和29年(1954年)、博覧会の記念に天守が建つ

昭和20年(1945年)、富山の町は空襲で大きな被害を受けました。

戦災からの復興事業が終わったことをきっかけに、昭和29年(1954年)に富山産業大博覧会が開かれます。その記念の建物として建てられたのが、今の天守です。

  • 鉄筋コンクリート造りで、城の形をした3重4階建て
  • 建っている石垣は、もともと天守ではなく、本丸の「鉄御門(くろがねごもん)」があった場所
  • 博覧会の間は「美の殿堂」として、展覧会の会場に使われた
  • 博覧会が終わった後の同じ年の11月、郷土博物館として開館した

平成16年(2004年)には、戦災復興の時期を代表する建物として、国の登録有形文化財になりました。

「博物館だより」には、「現在の富山城は、昭和29年 富山市民の築城です」という一文があります。今の天守は、戦後の富山の人たちが建てた「復興のシンボル」です。

富山城址公園の見どころ

天守(富山市郷土博物館)

富山城址公園の富山市郷土博物館。白い壁と黒い瓦の天守

白い壁と黒い瓦の建物です。館内では「富山城ものがたり」をテーマに、400年以上にわたる富山城の歴史が紹介されています。4階は天守展望台です。

石垣と堀

富山城の石垣と天守。鉄御門があった場所
富山城址公園に残る富山城の石垣

石垣と堀は、公園の中に残る、江戸時代の富山城の遺構です。天守の下の石垣は、本丸に入る鉄御門があった場所でした。

通路の正面の石垣には、ひときわ大きな石がはめこまれています。歩くときは、石の大きさの違いにも注目してみてください。

堀は、江戸時代には本丸・二の丸・三の丸をそれぞれ囲んでいました。今は、博物館の南側に残っています。

千歳御門

千歳御門(ちとせごもん)は、富山城に残るただ1つの建物です。10代藩主・前田利保の隠居所「千歳御殿」の正門でした。

明治時代の初めに個人の家へ移されましたが、平成18年〜20年(2006年〜2008年)に城址公園の東側へ移されました。富山市の指定文化財です。

佐藤記念美術館

公園の中には、富山市佐藤記念美術館もあります。茶室や書院座敷を見ることができます。

富山市郷土博物館(富山城)の開館時間・観覧料・アクセス

項目内容
施設名富山市郷土博物館(富山城)
住所〒930-0081 富山県富山市本丸1-62
電話076-432-7911
開館時間9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日年末年始(12月28日〜1月4日)。展示替えなどで臨時休館あり
観覧料大人210円、高校生以下は無料
駐車場専用の駐車場はなし。城址公園地下駐車場(有料)を使う

※2026年10月11日に公式サイトで確認した内容です。

特別展の期間は観覧料が変わる

特別展が開かれている間は、観覧料が変わります。2026年は、10月10日〜12月6日が特別展の期間です。

項目内容
期間2026年10月10日(土)〜12月6日(日)
観覧料大人500円、高校生以下は無料(常設展も見られる)
期間中の休館日10月27日(火)〜30日(金)

富山駅からのアクセス

行き方所要時間
富山駅の南口から歩く徒歩10分
市内電車の環状線「国際会議場前」で降りる電停から徒歩2分
富山地鉄バス「城址公園前」で降りるバス停から徒歩2分
車(北陸自動車道の富山ICから)約15分

城址公園地下駐車場の料金は、1時間330円です。その後は30分ごとに110円が加算されます。

行く前に知っておきたいこと

  • 天守展望台(4階)へは階段だけ。エレベーターで行けるのは2階の展示室までです
  • 年末年始は休み。12月28日〜1月4日は休館です
  • 臨時休館がある。展示替えやメンテナンスで休むことがあります。公式サイトの休館カレンダーで確認してください

公式:富山市郷土博物館

よくある質問(FAQ)

Q. 富山城は誰が建てたのですか?

A. 天文12年(1543年)に、神保長職が築きました。その後、佐々成政、前田利長が城主となり、江戸時代は富山藩の前田家の城でした。

Q. 富山城の天守は本物ですか?

A. 今の天守は、昭和29年(1954年)に富山産業大博覧会の記念として建てられたものです。江戸時代の富山城に天守はありませんでした。ただし、建物は戦災復興の時期を代表する建築として、国の登録有形文化財になっています。

Q. 江戸時代から残っているものはありますか?

A. 石垣と堀が残っています。建物では、10代藩主の隠居所の正門だった千歳御門が、城址公園の東側に移されています。

Q. 富山藩の最初の藩主は誰ですか?

A. 前田利次です。寛永16年(1639年)に加賀藩から10万石を分けられ、寛永17年(1640年)に富山城へ入りました。

Q. 富山城の観覧料はいくらですか?

A. 富山市郷土博物館の観覧料は、大人210円です。高校生以下は無料です。特別展の期間(2026年は10月10日〜12月6日)は、大人500円になります(2026年10月11日に公式サイトで確認)。

Q. 富山駅から歩いて行けますか?

A. 行けます。富山駅の南口から徒歩10分です。市内電車の環状線なら、「国際会議場前」で降りて徒歩2分です。

富山城を見るなら、富山駅の周辺に泊まるのが便利

富山城址公園は、富山駅の南口から歩いて10分の場所にあります。富山駅の周辺に泊まれば、朝や夕方の散歩がてら、歩いて富山城を見に行けます。

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まとめ

富山城は、戦国時代に築かれ、何度も持ち主が変わってきた城です。

  • 天文12年(1543年)に神保長職が築き、佐々成政の居城になった
  • 前田利長が城を整えたが、慶長14年(1609年)の大火で焼けた
  • 寛永16年(1639年)に富山藩ができ、前田利次から13代の城になった
  • 江戸時代の富山城に天守はなく、城の中心は本丸御殿だった
  • 今の天守は、昭和29年(1954年)に建てられた富山市郷土博物館
  • 石垣と堀、千歳御門に、江戸時代の富山城のおもかげが残っている

歴史を知ってから歩くと、石垣や堀の見え方が変わります。富山駅から歩いて行けるので、富山の旅の最初に立ち寄ってみてください。

富山から足をのばすなら、南砺市の城端もおすすめです。true tearsの聖地巡礼(城端)の記事で、歩き方を紹介しています。

富山城を歩いたあとの食事には、富山ブラックの元祖として知られるお店もおすすめです。西町大喜 西町本店の記事で、食べ方やアクセスを紹介しています。


参考・確認した公式情報(2026年10月11日確認)

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