瑞鳳殿を見学していてふと感じたことがあります。「なぜこんなに豪華絢爛な建物なのか」ということです。江戸時代の建築物で、ここまで贅を尽くした装飾が施されているものはそう多くありません。
今回は、瑞鳳殿がなぜこれほど豪華なのか、その理由と、瑞鳳殿以外にもぜひ見ておきたい見どころをご紹介します。
なぜこんなに豪華絢爛なのか
理由のひとつは、伊達政宗が「桃山文化」を愛していたためと言われています。
桃山文化とは、16世紀後半、天下統一へと向かう時代に花開いた豪壮で華麗な武家文化です。この時代は金箔を多用した美術品や、豪華絢爛な建物が数多く生み出されました。
瑞鳳殿は、この桃山文化の様式を受け継ぐ形で造営されています。後世に伊達政宗の偉業を称え、仙台藩の権威と平和への願いを込めて建てられたとも言われており、単なる霊廟以上の意味を持つ建築物なのです。
瑞鳳殿の石段に込められた意味
瑞鳳殿へ向かう石段には、実は数字にまつわる由来があります。
瑞鳳殿本殿へと至る石段は62段(近年の改修で63段)とされ、これは仙台藩の石高「62万石」にちなんだ数と言われています。さらに、参道入口から観覧受付までの石段をあわせると約70段にのぼり、これは伊達政宗が70歳でその生涯を閉じたことにちなんでいるとも伝えられています。
なお、感仙殿・善応殿へと続く石段は62段とは別に59段あり、瑞鳳殿とは異なるルートで両霊廟へアクセスします。この石造りの階段は戦災を免れ、藩政時代から残る貴重なものです。歴史を知った上で一段ずつ登ると、また違った感慨があります。
瑞鳳殿が建てられた場所の理由
瑞鳳殿は、広瀬川の蛇行部に挟まれた「経ヶ峯(きょうがみね)」と呼ばれる丘陵地に建てられています。
この場所が選ばれた一番の理由は、伊達政宗自身が経ヶ峯に埋葬するようにと遺言を残したことです。経ヶ峯は仙台城(青葉城)の本丸と向かい合う配置になっており、政宗が没した後も仙台城を見守り続けられる特別な場所だからとも言われています。
感仙殿・善応殿にも注目

瑞鳳殿以外の見どころとして欠かせないのが、隣接する感仙殿と善応殿です。
感仙殿には第2代藩主・伊達忠宗が、善応殿には第3代藩主・伊達綱宗が眠っています。
感仙殿の本殿両脇には、忠宗に殉死した家臣12名と陪臣4名を弔う宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建てられています。一方、綱宗の時代には殉死が禁止されていたため善応殿に殉死者の墓はありませんが、その南側には、綱宗を弔うために出家した家臣の墓があります。同じ霊廟でも、時代によって弔い方が異なる点も見比べてみると興味深いポイントです。
まとめ
瑞鳳殿がこれほど豪華絢爛な理由には、伊達政宗が桃山文化を愛したことに加え、後世に平和と藩の権威を伝えたいという願いが込められています。
石段の段数に込められた意味、経ヶ峯という立地が選ばれた理由、そして感仙殿・善応殿に眠る家臣たちの物語――これらを知っているかどうかで、瑞鳳殿の見え方はきっと変わってきます。ぜひ現地を訪れた際は、こうした背景を思い浮かべながら見学してみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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