永平寺の歴史とは?道元禅師の開創から780年、禅の大本山の歩みをわかりやすく解説

新緑のもみじと苔むす石段の先に建つ永平寺の堂宇 中部
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福井県永平寺町の山あいに建つ大本山永平寺。樹齢数百年の杉木立に囲まれ、今も多くの修行僧が坐禅に打ち込む、日本を代表する禅の修行道場です。

「永平寺ってどんなお寺?」「いつ、誰が建てたの?」という方に向けて、この記事では永平寺の歴史を、開山・道元禅師の生涯から現在の伽藍までの流れに沿ってわかりやすく解説します。歴史を知ってから歩くと、山門や仏殿の見え方がぐっと変わりますよ。

永平寺とは?まずは基本をおさらい

永平寺は、曹洞宗の大本山です。曹洞宗には大本山が2つあり、もう1つが神奈川県横浜市鶴見区の總持寺。永平寺は宗祖・道元禅師が開いたお寺として、曹洞宗の「根本道場」と位置づけられています。

正式名称は吉祥山永平寺(きちじょうざん えいへいじ)。約10万坪といわれる広大な境内に70余りの建物が並び、なかでも修行の中心となる7つの建物を七堂伽藍(しちどうがらん)と呼びます。

開山・道元禅師とは

永平寺の歴史は、開山である道元禅師(1200〜1253年)の歩みと切り離せません。

  • 京都に生まれ、比叡山延暦寺で出家
  • その後、宋(中国)に渡り、天童山景徳寺の如浄禅師のもとで修行
  • ひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」の教えを受け継いで帰国
  • 京都の建仁寺を経て、深草(京都市伏見区)に興聖寺を開く

ところが、京都では比叡山からの圧力が強まり、思うように布教・修行の場を保てなくなっていきます。そこで道元禅師に手を差し伸べたのが、越前(現在の福井県)志比荘の地頭で、熱心な信者だった武士・波多野義重でした。

石垣の上に堂宇が建ち並ぶ永平寺の境内
石垣の上に堂宇が建ち並ぶ永平寺の境内

永平寺の歴史年表

年 出来事
1243年(寛元元年) 道元禅師、波多野義重の招きで越前へ。吉峰寺などで過ごす
1244年(寛元2年) 傘松峰大仏寺を開創(永平寺の始まり)
1246年(寛元4年) 寺名を吉祥山永平寺と改める
1253年(建長5年) 道元禅師、京都で示寂。2世・孤雲懐奘禅師が跡を継ぐ
1340年(暦応3年) 兵火で伽藍が焼失
1372年(応安5年) 後円融天皇より「日本曹洞第一道場」の勅額を賜る
1473年(文明5年) 応仁の乱のさなか、再び焼失
1539年(天文8年) 後奈良天皇より「日本曹洞第一出世道場」の綸旨を賜る
1749年(寛延2年) 山門が落慶(現存する最古の建物)
1844年(天保15年) 勅使門(唐門)が建つ
1902年(明治35年) 道元禅師650回大遠忌に合わせ、仏殿・僧堂などを整備
1930年(昭和5年) 傘松閣・大庫院・廻廊などが建つ
2019年(令和元年) 山門・仏殿・法堂など七堂伽藍を含む建物群が国の重要文化財に指定

ここからは、それぞれの時代をもう少し詳しく見ていきましょう。

「大仏寺」から「永平寺」へ ― 開創と改称(1244〜1246年)

1243年、道元禅師は弟子たちとともに京都を離れ、越前へと下ります。最初の冬は吉峰寺などで過ごし、翌1244年(寛元2年)、波多野義重の支援を受けて傘松峰大仏寺(さんしょうほう だいぶつじ)を開きました。これが永平寺の始まりです。

その2年後の1246年(寛元4年)、寺の名前を吉祥山永平寺に改めます。

「永平」は、中国・後漢の元号「永平」に由来するといわれます。永平年間は、仏教が初めて中国に伝わった時代とされ、そこに「永久の和平」という願いも込められています。仏法が日本でも永く根づくように――そんな道元禅師の思いが伝わる名前です。

道元禅師はこの地で弟子の育成と著述に力を注ぎ、主著『正法眼蔵』の多くの巻もこの時期にまとめられました。修行僧の食事作法を定めた『赴粥飯法』や、台所を預かる役職の心得を説いた『典座教訓』など、今も永平寺の修行の土台となっている規範が生まれたのもこの頃です。

道元禅師亡きあとの試練 ― 衰退と復興

1253年、道元禅師は病の療養のため京都へ向かい、その地で54歳の生涯を閉じます。跡を継いだのは、長年そばで仕えた2世・孤雲懐奘(こうん えじょう)禅師でした。

3世・徹通義介(てっつう ぎかい)禅師の代には伽藍の整備が進みますが、後継をめぐる対立(いわゆる「三代相論」)が起こり、義介禅師は永平寺を離れることになります。さらに有力な支援者だった波多野氏の後ろ盾も弱まり、寺は一時、大きく衰えてしまいました。

この危機を救ったのが5世・義雲禅師です。寺の立て直しに尽力し、その後の永平寺の基礎を固めました。

度重なる焼失と、天皇からの尊崇

永平寺は780年近い歴史のなかで、何度も火災に見舞われてきました。

  • 1340年(暦応3年):兵火で伽藍が焼失
  • 1473年(文明5年):応仁の乱の混乱のなかで再び焼失

こうした苦難の一方で、永平寺は朝廷からも篤く敬われました。1372年には後円融天皇から「日本曹洞第一道場」の勅額を賜り、1473年の火災で失われたのちも、1539年(天文8年)に後奈良天皇から改めて「日本曹洞第一出世道場」の綸旨(天皇の命令書)を受けています。「曹洞宗でいちばんの修行道場」というお墨付きを、国の最高権威から得ていたわけです。

度重なる火災のため、現在の建物はすべて江戸時代以降に再建されたものです。

江戸時代から現代へ ― 今の七堂伽藍が整うまで

回廊に囲まれた中庭に建つ重層の堂宇
回廊に囲まれた中庭に建つ重層の堂宇

江戸時代になると、永平寺は總持寺とともに曹洞宗の本山として幕府に認められ、寺の体制が安定していきます。

現存する最古の建物が、1749年(寛延2年)に落慶した山門です。その後、法堂(1842年上棟)、勅使門(1844年)、中雀門(1852年)などが次々と整えられました。

明治時代に入ると、1902年(明治35年)の道元禅師650回大遠忌に合わせて、仏殿や僧堂などが新たに建てられます。さらに昭和に入ると、1930年(昭和5年)に傘松閣・大庫院・廻廊などが完成し、ほぼ現在の姿になりました。

そして2019年(令和元年)、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院をはじめとする建物群が国の重要文化財に指定されています。

唐破風の玄関が美しい堂宇。境内には江戸〜昭和に再建された建物が並びます
唐破風の玄関が美しい堂宇。境内には江戸〜昭和に再建された建物が並びます

歴史を知るともっと楽しい、永平寺の見どころ

七堂伽藍

修行の中心となる7つの建物で、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司を指します。これらは長い回廊で結ばれていて、参拝者は階段や廊下を上り下りしながら、実際の修行の場を順番に見て回ることができます。

人の体にたとえられることもあり、法堂が頭、仏殿が心臓、山門が腰……というように、伽藍全体がひとつの体のように配置されているのも興味深いポイントです。

七堂伽藍を結ぶ回廊。階段状の廊下を上り下りしながら参拝します
七堂伽藍を結ぶ回廊。階段状の廊下を上り下りしながら参拝します

山門

1749年に建てられた、永平寺に現存する最古の建物です。修行僧が入門するときと、修行を終えて山を下りるときにしか通れない門とされ、上山の重みを感じさせます。四天王像が安置されているので、ぜひ見上げてみてください。

山門に安置された四天王像(左が北方多聞天王)
山門に安置された四天王像(左が北方多聞天王)
永平寺の山門に安置された四天王像
山門の四天王像をもう一方から。金色の光背と鮮やかな彩色が見事です

傘松閣の天井絵

参拝の最初に通る傘松閣(さんしょうかく)は、通称「絵天井の間」。昭和初期に活躍した144人の画家による230枚の花鳥画が天井を埋め尽くす、永平寺でも屈指の人気スポットです。1994年に建て替えられましたが、当時の木材の一部が今も残っています。

天井絵の中には鯉が2枚、獅子が2枚、リスが1枚描かれていて、「5枚すべて見つけると願いが叶う」ともいわれています。ぜひ探してみてください。

承陽殿

道元禅師の御霊骨をおまつりする、永平寺でもっとも神聖な場所のひとつです。「開山さまのお墓」ともいえるお堂で、永平寺の始まりに思いを馳せられます。

勅使門(唐門)

天皇の使者(勅使)を迎えるときにだけ開かれる門です。永平寺が朝廷から篤く敬われてきた歴史を物語る建物で、普段は閉ざされています。

永平寺の基本情報

項目 内容
正式名称 吉祥山永平寺(曹洞宗大本山)
住所 福井県吉田郡永平寺町志比5-15
参拝時間 8:30〜16:30(16:00までに来寺)
拝観料 大人700円/小・中学生300円/未就学児無料
定休日 無休
電話 0776-63-3102
公式サイト https://daihonzan-eiheiji.com/

※参拝時間は季節や行事により変更になる場合があります。最新情報は公式サイトでご確認ください。

アクセス

  • バス:JR福井駅東口から京福バス「特急永平寺ライナー」で約30分
  • 電車+バス:えちぜん鉄道 勝山永平寺線「永平寺口駅」から京福バスで約15分
  • 車:中部縦貫自動車道「永平寺参道IC」から約15分(門前に有料駐車場あり)

参拝時の注意

  • 境内は階段が多く、建物内はベビーカーで回れません(受付で預かってもらえます)
  • ペットは介助犬を除き、ケージに入れての参拝となります
  • 永平寺は今も修行僧が生活する道場です。撮影が禁止されている場所や、修行僧の撮影はマナーを守りましょう

よくある質問

Q. 永平寺は誰が、いつ建てたお寺ですか?
A. 曹洞宗を開いた道元禅師が、1244年(寛元2年)に越前の地頭・波多野義重の支援を受けて開きました。当初は「大仏寺」という名前で、1246年に「永平寺」と改められました。

Q. 「永平寺」という名前の由来は?
A. 仏教が初めて中国に伝わった後漢の元号「永平」に由来するといわれ、「永久の和平」という意味も込められています。

Q. 永平寺でいちばん古い建物はどれですか?
A. 1749年(寛延2年)に建てられた山門です。永平寺は何度も火災に遭っているため、現在の建物はすべて江戸時代以降のものです。

Q. 永平寺と總持寺の違いは?
A. どちらも曹洞宗の大本山です。永平寺は宗祖・道元禅師が開いたお寺、總持寺(横浜市)は「太祖」と呼ばれる瑩山禅師が開いたお寺です。

Q. 永平寺の拝観料はいくらですか?
A. 大人700円、小・中学生300円です(未就学児は無料)。

まとめ

永平寺は、1244年に道元禅師が「大仏寺」として開き、1246年に「永平寺」と名を改めた、曹洞宗の大本山です。後継者争いや支援者の衰退、そして幾度もの焼失を乗り越え、天皇からも「日本曹洞第一道場」と認められながら、780年近く修行の場であり続けてきました。

現在の山門や仏殿は江戸〜昭和に再建されたものですが、そこで続けられている坐禅と修行の日々は、道元禅師の時代から変わりません。歴史を知ったうえで回廊を歩けば、静けさの奥にある重みを、きっと肌で感じられるはずです。

中部
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