長崎の原爆の歴史とは?8月9日の被害と今も残る被爆遺構を解説

山王神社の二の鳥居。片方の柱だけで立つ一本柱鳥居と石段 九州
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1945年(昭和20年)8月9日の午前11時2分、長崎に原子爆弾が落とされました。広島に続く、2発目の原爆です。

この記事では、長崎の原爆の歴史を、長崎市と長崎原爆資料館の資料をもとに解説します。投下までの経緯、被害の大きさ、今も残る被爆遺構を順番にまとめました。平和公園や長崎原爆資料館の料金、アクセスも紹介します。

私は2024年10月22日に、長崎原爆資料館と、山王神社の一本柱鳥居を訪れました。鳥居と資料館の写真は、そのときに撮ったものです。平和公園と爆心地公園には行けなかったので、この2つは公式の情報をもとに紹介します。

この記事の情報について

  • 料金・開館時間・アクセスの確認日:2026年10月13日(長崎原爆資料館の公式サイト、長崎市の公式サイトで確認)
  • 被害の数字は、長崎市の平和・原爆のサイト「ながさきの平和」に載っているものです。
  • 料金や開館時間は変わることがあります。出かける前に公式サイトで最新の情報を確認してください。

長崎の原爆とは|1945年8月9日午前11時2分

まず、基本の情報を表にまとめます。

項目内容
日時1945年(昭和20年)8月9日 午前11時2分
爆発した場所長崎市松山町の上空 約500メートル
爆弾の種類プルトニウム239を使った原子爆弾(通称「ファットマン」)
投下した飛行機アメリカ軍のB29「ボックス・カー号」
死者73,884人
重軽傷者74,909人

死者と重軽傷者の数は、長崎市原爆資料保存委員会が昭和25年(1950年)7月に発表したものです。長崎市のサイトでは、この数字が「今日の通説」とされています。

爆発した高さは、資料によって少し違います。「ながさきの平和」は、503メートル(誤差10メートル)を信頼度の高い数字としています。

広島の原爆との違い

長崎の原爆は、広島の原爆と材料もしくみも違います。

広島長崎
投下された日1945年8月6日1945年8月9日
核物質ウラン235プルトニウム239
起爆のしくみガン・バレル(砲身)方式インプロージョン(爆縮)方式

出典:原子爆弾とは|ながさきの平和

原爆が投下されるまでの経緯|第一目標は小倉だった

8月9日の第一目標は、長崎ではなく小倉(今の北九州市)でした。「ながさきの平和」に載っている記録をもとに、当日の動きを追います。

時刻できごと
午前2時47分原爆をのせたボックス・カー号が、テニアン島の飛行場を離陸
午前9時44分小倉の攻撃始点に到着。3回試みたが、目標を目で確認できなかった
午前10時50分小倉をあきらめ、長崎の上空に到着
午前11時2分長崎市松山町の上空で原爆が爆発

長崎の上空も雲におおわれていました。爆撃手は、雲のすき間から三菱の2つの軍需工場の間を見つけ、そこに原爆を落としました。

その場所は、もともと予定していた照準点よりも北でした。こうして原爆は、市の北部にある浦上地区の上空で爆発しました。

出典:原爆搭載機の進入経路と投弾|ながさきの平和、11時2分|ながさきの平和

長崎の原爆の被害|死者73,884人

原爆の被害は、熱線・爆風・放射線の3つによるものです。「ながさきの平和」には、次の数字が載っています。

項目数説明
死者73,884人長崎市原爆資料保存委員会の発表(1950年7月)
重軽傷者74,909人同上
罹災(りさい)人員120,820人半径4キロ以内の、全焼・全壊した家の世帯の人数
罹災戸数18,409戸半径4キロ以内の全戸数。市内の全戸数の約36%
全焼11,574戸半径4キロ以内。市内の約3分の1

長崎市の公式サイトによると、市街は南北約5キロ、東西約2キロの範囲で全壊または全焼しました。

爆心地に近い浦上地区には、学校、病院、教会、工場がありました。城山国民学校、長崎医科大学、浦上天主堂なども大きな被害を受けています。

出典:原爆の威力|ながさきの平和

年表でたどる長崎の原爆と、その後の歩み

年できごと
1914年(大正3年)浦上天主堂が完成
1925年(大正14年)浦上天主堂の2つの塔が完成
1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、長崎に原爆が投下される
1950年(昭和25年)長崎市原爆資料保存委員会が被害の状況を発表
1955年(昭和30年)平和公園に平和祈念像が完成
1956年(昭和31年)爆心地に原子爆弾落下中心地碑が設置される
1958年(昭和33年)被爆した浦上天主堂が解体される
1969年(昭和44年)平和公園に「平和の泉」ができる
1977年(昭和52年)平和公園に「長崎の鐘」がつくられる
2016年(平成28年)10月3日「長崎原爆遺跡」が国の史跡に指定される

今も残る被爆遺構|国の史跡「長崎原爆遺跡」

長崎には、原爆の被害を今に伝える遺構が残っています。そのうち5か所は、2016年10月3日に「長崎原爆遺跡」として国の史跡に指定されました。

遺跡爆心地からの距離場所
爆心地-松山町(平和公園 祈りのゾーン)
旧城山国民学校校舎西へ約500メートル城山町(城山小学校の中)
浦上天主堂旧鐘楼北東へ約500メートル本尾町(カトリック浦上教会の中)
旧長崎医科大学門柱南東へ約700メートル坂本1丁目(長崎大学 坂本キャンパスの中)
山王神社二の鳥居南東へ約800メートル坂本2丁目(山王神社の参道)

爆心地(爆心地公園)

爆心地は、原爆が爆発した空中の点の真下にあたる場所です。今は公園になっていて、高さ約6.5メートルの原子爆弾落下中心地碑が立っています。

公園には、被爆当時の地層も保存されています。瓦、レンガ、焼けた土、溶けたガラスなどが、埋もれたままの姿で見られます。

移築された浦上天主堂の遺壁(いへき)もあります。聖堂の南側の壁の一部で、石の柱がずれているのが見どころです。

山王神社の二の鳥居(一本柱鳥居)

山王神社の二の鳥居。片方の柱だけで立つ一本柱鳥居と石段

山王神社の二の鳥居は、片方の柱だけで立っている鳥居です。「一本柱鳥居」とも呼ばれています。

「ながさきの平和」によると、原爆の爆風で北側の柱が倒れました。残った南側は、上にのる笠木(かさぎ)が東へ13度回っています。柱の爆心地側の面は、熱線で表面がはがれました。

鳥居は、石段を上る途中に立っています。私が訪れたのは雨上がりの日でした。周りには家やアパートが並び、暮らしの中に鳥居が残っていることがわかります。

山王神社の参道の石畳と、わきに並べられた石の部材

長崎市の公式サイトによると、鳥居の手前の階段や、灯籠の下の石も被爆した当時のままです。

神社の境内には、被爆したクスノキもあります。広報ながさき(2025年8月号)によると、2018年の調査で、被爆クスノキは19本の群として確認されました。

住宅地の中にあるので、静かに見学しましょう。神社に駐車場はありません。

旧城山国民学校校舎

爆心地から西へ約500メートルの場所にあった、鉄筋コンクリートの校舎です。残っている階段棟には、火災で焼けた木のレンガが残っています。

浦上天主堂旧鐘楼

浦上天主堂の塔の上にあった鐘楼(しょうろう)です。原爆によって、天主堂の北側のがけ下にある小川まで落ちました。鉄筋コンクリート製で、重さは約50トンと推計されています。

旧長崎医科大学門柱

長崎大学の坂本キャンパスに残る石の門柱です。爆風によって柱が9センチずれ、傾いたまま立っています。

出典:国指定史跡「長崎原爆遺跡」|ながさきの平和、長崎原爆遺跡|長崎市

平和公園の見どころ|平和祈念像と平和の泉

平和公園は、いくつかのゾーンに分かれています。平和祈念像があるのは「願いのゾーン」、爆心地があるのは「祈りのゾーン」です。毎年8月9日には、平和祈念像の前で平和祈念式典が行われます。

見どころできた年内容
平和祈念像1955年彫刻家の北村西望の作品。高さ約9.7メートル、重さ約30トンの青銅の像
平和の泉1969年水を求めながら亡くなった人たちの冥福を祈ってつくられた
長崎の鐘1977年33回忌の年につくられた鐘
長崎刑務所浦上刑務支所跡-被爆した当時の、周りの壁の一部が残る

平和祈念像の台座の裏には、作者の言葉が刻まれています。「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」という言葉です。

出典:願いのゾーン|長崎市、祈りのゾーン|長崎市

長崎原爆資料館の料金・開館時間

長崎原爆資料館の入口

長崎原爆資料館は、被爆の資料や写真を展示している資料館です。公式サイトでは、見学の目安は1時間とされています。

項目内容
住所〒852-8117 長崎県長崎市平野町7番8号
電話095-844-1231
開館時間(4月、9月〜3月)8:30〜17:30(入館は17:00まで)
開館時間(5月〜8月)8:30〜18:30(入館は18:00まで)
開館時間(8月7日〜9日)8:30〜20:00(入館は19:30まで)
休館日12月29日〜31日
観覧料(一般・15歳以上)200円
観覧料(高校生以下)無料(学生証などを見せる)
音声ガイド1台160円
  • 2026年4月1日から、団体料金はなくなりました。一般はすべて200円です
  • 8月9日は、一般の方も無料で常設展示室に入れます
  • 当日であれば、チケットを見せると再入館できます
  • 入口の受付の横にコインロッカーがあります

実際に見学した感想|らせんの下り坂を歩いて1945年へ

資料館の中に入ると、らせんの下り坂になっています。坂の途中には年代が書かれていて、下りるにつれて時代をさかのぼります。最後は、原爆が投下された年になっています。

展示は、とても怖いものが多かったです。原爆は人が使ってはいけない兵器だと、改めて学ぶことができました。

展示の入れ替え工事に注意(2027年3月まで)

常設展示室では、展示を新しくする工事が行われています。工事の場所は仕切りで目隠しされ、見られない部分があります。

見られない場所期間(2026年9月7日時点の予定)
Aコーナーの一部2026年9月10日〜10月10日
Cコーナー2026年11月24日〜2027年3月
Bコーナーの一部2026年12月末〜2027年3月
Dコーナー2027年1月〜3月

被爆資料が並ぶBコーナーの大部分は、通常どおり見られます。予定は変わることがあるので、行く前に公式サイトのお知らせを確認してください。

公式:長崎原爆資料館、常設展示室 展示更新に伴う一部公開休止について

平和公園・長崎原爆資料館へのアクセス

長崎駅から路面電車で行く

JR長崎駅からは、路面電車の「赤迫(あかさこ)」行きに乗ります。行き先によって、降りる電停が変わります。

行き先降りる電停電停から
山王神社の二の鳥居大学病院徒歩6分
長崎原爆資料館原爆資料館徒歩約5分
爆心地(爆心地公園)平和公園徒歩1分

バスの場合は、長崎駅から滑石・時津・長与・女の都方面行きに乗ります。「浜口町」バス停で降りて、資料館まで徒歩約5分です。

長崎空港から行く

長崎空港からは、リムジンバスの長崎駅前(浦上・住吉方面)行きに乗ります。所要時間は約40分です。「平和公園」バス停で降りて、資料館まで徒歩約5分です。

車で行く

長崎自動車道の長崎多良見ICから長崎バイパスに入り、川平ICで降ります。そこから市内の中心部の方向へ約5分です。

長崎原爆資料館の駐車場は、普通車が64台です。料金は、最初の1時間が200円、そのあとは30分ごとに200円です。予約はできません。

公式:アクセス・駐車場|長崎原爆資料館

平和公園と被爆遺構をゆっくり回るなら、長崎市内に泊まるのが便利

平和公園、長崎原爆資料館、山王神社は、長崎駅から路面電車で行ける場所にあります。長崎市内に泊まれば、資料館の見学にも時間をとって、歩いて遺構を回れます。

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よくある質問(FAQ)

Q. 長崎に原爆が落とされたのはいつですか?

A. 1945年(昭和20年)8月9日の午前11時2分です。長崎市松山町の上空約500メートルで爆発しました。

Q. 長崎の原爆で亡くなった人は何人ですか?

A. 死者は73,884人、重軽傷者は74,909人とされています。長崎市原爆資料保存委員会が1950年7月に発表した数字です。

Q. なぜ長崎に原爆が落とされたのですか?

A. 8月9日の第一目標は小倉でした。しかし、小倉では目標を目で確認できなかったため、飛行機は長崎へ向かいました。

Q. 広島の原爆と長崎の原爆は何が違いますか?

A. 材料としくみが違います。広島はウラン235を使った砲身方式、長崎はプルトニウム239を使った爆縮方式の原爆です。

Q. 長崎原爆資料館の料金と見学の時間は?

A. 一般(15歳以上)は200円、高校生以下は無料です。見学の目安は1時間です(2026年10月13日に公式サイトで確認)。

Q. 一本柱鳥居はどこにありますか?

A. 山王神社(長崎市坂本2丁目)の参道にあります。路面電車の「大学病院」電停から徒歩6分です。

まとめ

長崎の原爆について、歴史と今も残る遺構を紹介しました。

  • 原爆が落とされたのは、1945年8月9日の午前11時2分。松山町の上空約500メートルで爆発した
  • 第一目標は小倉だったが、目標を確認できず、長崎に変わった
  • 死者は73,884人、重軽傷者は74,909人(1950年7月の発表)
  • 爆心地、山王神社の二の鳥居など5か所が、2016年に国の史跡「長崎原爆遺跡」になった
  • 長崎原爆資料館は一般200円、高校生以下は無料。2027年3月まで、展示の一部が見られない期間がある
  • 平和公園、資料館、山王神社は、長崎駅から路面電車で行ける

同じ長崎県の島原へ行く方は、熊本港〜島原港フェリー完全ガイドも参考にしてください。戦争の遺跡に関心のある方には、大久野島の歴史の記事もあります。


参考・確認した公式情報(2026年10月13日確認)

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